皆さんは弱視(amblyopia)という病気を知っていますか? 人種・性別を問わず、出生者の2-3%が罹患するとされる小児眼科の代表的な疾患です。弱視の子供は、脳の後頭葉視覚野の発達が不十分であるため、片方の眼だけが良く見えません。
弱視は、感受性期間(critical period)と呼ばれる3-6歳頃までに治療をしないと、治すことが難しいと言われています。弱視の治療は、弱視の眼に視覚刺激を与えて後頭葉視覚野の発達を促進させることで行われます。では、具体的にどうやって刺激するのでしょうか?
弱視治療の世界標準は「遮蔽法」(occlusion therapy)、つまり正常な眼を塞ぎ、弱視の眼だけを強制的に使わせる方法です。しかし、これを続けられる子供は少ないようです。患者が医師の処方通りに遮蔽法を継続できた割合(これをコンプライアンスといいます)は、4カ月で3割程度とされます[1]。弱視治療にはトータルで13カ月程度を要するとされていますので、4カ月で3割のコンプライアンスは大変低いといえます。なぜでしょうか?
当前ですが、見える方の眼を塞ぐのはストレスです。それを強いる親にとってもストレスでしょう。また、学校でいじめられる事もあるかもしれません。眼の周りがカブレることもあります。特に高温多湿の東南アジア地域や、衛生環境の悪い発展途上国ではカブレのリスクが高まるでしょう。
そこで私たちが考案したのが、オクルパッドというタブレット型の医療機器です。オクルパッドの画面には特殊な加工がされており、弱視の眼からだけ映像を見る事ができます。
すなわち両方の眼を開けた状態で、弱視の眼だけに映像刺激を与えられるのです。正常な眼を塞がないため、ストレスやカブレのリスクを避けられます。一方で、自分の指や周辺視野は両眼で見る事ができるので、両眼でモノを視る能力も阻害されません。
オクルパッドには10種類のゲームがプリ・インストールされています。子供たちはゲームが大好きです。ゲームに熱中するほど、脳の後頭葉視覚野に映像刺激を与えられます。
特定のキャラクターを見つめる固視(vision fixation)、動く物体を眼で追いかける活動性追従運動(pursuit eye movement)、眼で見ながらタブレットを操作する手と眼の供応運動(eye-hand coordination)の要素は、弱視を治療する上で非常に重要とされています。
ゲームで遊ぶことが、いつの間にか治療になっているのです。遊びの中に実用的な価値を埋め込む戦略は「ゲーミフィケーション」と呼ばれます。オクルパッドは、医療の中にゲーミフィケーションの要素を取り入れたのです。
オクルパッドは北里大学のチームを中心に臨床試験が行われてきました[2-5]。その結果、3カ月を経過した時点でコンプライアンスが従来の治療法よりも有意に高いことが観察されました。視力回復効果も、概ね6-9カ月頃からオクルパッドの方が優位に高いとされています。
今では正式にクラス1医療機器として登録され、日本国内ではジャパンフォーカスという会社から販売されています。これまでに数百台のオクルタブが出荷されていますので、日本国内では既に何千人もの子供たちが使っていると思います。
冒頭で、弱視は人種を問わず出生者の2-3%が罹患すると書きました。日本では2020年時点で年間90万人が生まれますから、患者数は毎年2万人台になります。では、患者が多い国はどこでしょう?
インドの出生数は世界一で、毎年2,500万人くらい生まれます。だから弱視患者も毎年63万人くらい出ているはずです。しかし現地の医師から話を聞くと、アイパッチはほとんど処方できていないようです。理由は様々ですが、「暑くてカブれてしまうから」「地方農村部でアイパッチをするとイジメにあってしまう」という声が多く聞かれます。
発展途上国の殆どは出生者数が多く、高温多湿の地域が多いです。つまりそれだけ、世界にはオクルパッドのニーズがあると思います。今、私たちが力を入れているのが、インドを初めとした途上国への普及活動です[6]。JICAの支援を得ながら、これまでインド国内で10カ所以上の中核病院や地域クリニックにオクルパッドを導入し、臨床試験を進めています。