放射能汚染、大気汚染、水質汚染などの大規模な環境災害では、「測定」「共有」「議論」の3つが重要です。「測定」とは、眼に見えない汚染の度合いを測定器で素早く数値化すること。「共有」とは、皆が測定したデータやメタ情報(写真や位置情報)を互いに連結して可視化すること。そして「議論」とは、災害状況下で時間も情報も不十分であり最適解が出せない状態において、市民・専門家・行政が可視化されたエビデンスに基づいて対等な対話を行い、リスク回避行動に向けて自分たちが納得できる合意形成を行う事です。社会の構成員が外部(政治・権力・貨幣などの制御媒体)から支配や制約を受けることなく平等に発言し議論を尽くすという考え方はコミュニケーション的合理性(Habermas)ともいいます[1]。このような、対等な立場での話し合いから共通理解のもとで合意を作り出す能力(対話的理性といいます)の開発・学習を支援するための情報技術(IoT, SNS, AI)の登場が期待されています。
福島第一原発事故直後を思い出してみましょう。「測定」するための放射線センサは一瞬で市場から消え、皆が粗悪な輸入品に頼っていました[2-3]。政府はSPEEDIという高精度な線量分布の予測データを持っていましたが、それを正しく伝える技量が無かったため「共有」しませんでした[4]。報道規制や情報隠蔽の噂により行政への信頼は失われ、御用学者と呼ばれる原子力や放射線の専門家への信頼は地に落ちました[5]。このような状況では、市民・行政・専門家が合意形成に向けて対等に「議論」をすることは不可能だったといえます。
そこで考案したのがポケットガイガー(Pocket Geiger)、通称ポケガと呼ばれるスマホ接続型の放射線センサーです[6-7]。ポケガには従来の線量計とは全く異なる3つの特徴がありました。
1つ目は、市民が「測定」することに重点を置き、徹底的に低コスト化したことです。スマホ側で計測処理を行い部品点数を最小限に抑えました。γ線センサには、赤外線リモコンに使われるPINフォトダイオードという安価な半導体を採用しています。初代モデルはクラウドファンディングKickstarter.comを通じて寄付者を募り、最終的に1,850円という驚異的な低価格で世界中に配布しました。当初はFRISKケースに入れて使うDIY商品で、FRISKガイガーと呼ばれました(現在は被災企業でちゃんと商品化され価格も6,950円、それでも世界最安でしょう)。さらにRadiation-watch.orgというサイトでソフトもハードもオープンソース化し、誰もが放射線を「測定」することを徹底的に目指した結果、被災地を中心に10万人を超える人々に普及しました。
ポケガの2つ目の特徴は、測定値の「共有」です。スマホ接続型である事を生かして線量を地図上に共有、また測定値の状況を写真と共にSNSにアップできます。2011年当時はまだIoTという言葉が出始めた頃でした。これによって利用者は、自分の場所と周囲の線量の違い、国が設置したモニタリングポストの正しさ、他の線量計との誤差などを可視化できるようになりました。
そしてポケガ最大の特徴が3つ目の「議論」です。ポケットガイガー利用者のFacebookグループでは、放射線の基礎、測定方法、防護について、自律的に様々な議論が交わされるようになりました。議論の参加者には回路技術者や、放射線の研究者も多く居ました。様々な専門家が一般市民と意見を出し合いながら、放射線に対するリテラシーを高める事ができたのです。この自律的なコミュニティで議論された内容を分類すると、線量共有が54%、技術提案が20%、使用方法が9%、比較試験が8%、バグ報告が5%でした。
1つだけ例を紹介します。岡山県に出張した会社員の方から、線量が0.13uSv/hと少々高いという投稿がありました。すかさず郡山の方が、家のベランダと同じくらいだとコメントします。そこに放射線の専門家が現れ、元々岡山県は地質学的に線量が高い地域だとわかります。また別の方が、岡山ではウランの採掘をしていた事があったと教えてくれます。市民・専門家の交流により、コミュニティの知識レベルが高まった良い事例だったと思います。
また研究を進めるうちに、一般市民と専門家では放射線計測に求める情報の種類が異なることがわかってきました。そこでフランスの研究者と一緒に、ポケガ利用者への調査を行い、放射線量共有のためのデータフォーマットのあり方について提言研究を行いました[8]。
ポケガはソフトもハードもオープンソースにしたことから、開発段階から世界中の研究者を巻き込み、一緒にモノづくりを進めることができました[9-10]。高エネルギー加速器研究機構(当時)の一宮 亮博士、オランダ国防省軍衛生局のT. Kuiperss司令、オランダ国立計量局のC. V. Wout氏とF. Bader氏、東京大学農学部の溝口 勝教授、慶應義塾大学の松本佳宜教授には特に多大なご協力を頂きました。このように既存の組織構造にとらわれない協業は「オープンイノベーション」と呼ばれ、次の効果があると言われます[11]。
ポケガでは、その技術開発からサービス提供までの全てを、世界市民に開かれた「参加型」とすることで、ユーザや専門家を巻き込みながら運営するというユニークなプロジェクト運営方式を採用しました。この形態は参加型デザイン(participatory design)[12]と呼ばれます。参加型デザインは、ポケガのようなモノづくりのみならず、都市開発、建築、コミュニティ合意形成、環境問題、新商品開発などにも広く適用できると思います。
九州大学の藤淵 俊王教授のチームは、ポケガをIVR (Interventional Radiology)と呼ばれる放射線医療の分野に活用する研究をしています。IVRとはX線(レントゲン)やCTなどの放射線画像診断装置で体の中を透かしながら、細い医療器具(カテーテルなど)を入れ、病気を治療するものです。医療スタッフは放射線管理区域の部屋の中に入り、患者の体に放射線を当てながら手術をするので、放射線に被ばくします。ポケガを使えば、この被ばく量を体の部位ごとに細かく可視化できるのではないかと考えています[13-16]。
また環境分野では、「人為的に濃度が高められた自然起源放射性物質」(Technologically Enhanced Naturally Occurring Radioactive Material, TENORM)に注目しています。鉱山の周辺などでは非常に高い放射線量を持つ物質が蓄積・加工されており、周辺地域の放射線量に加えて、作業者や周辺住民の被ばく量を正しく見積もることが大切です。これについてはインドネシアの高放射線量の鉱山島における地域エンパワメントのページで詳しく紹介します。